自身がどう在りたいか、どう在るかで、すべてを愛に変えることが出来る。すべてを愛に帰すことが出来る

受講者
共鳴中に、これほどお話し中心になったのは、初めてでした。

共鳴セッションを受けたいと思った

「すべてが愛を知りたい。それを生きたい。」という思いと、

それにまつわるさまざまなこだわり、思い込みをお話しする機会があったこと

そして、無空さんからも言葉としていただいたこと

また、共鳴の中 無言で受け取っているもの・・・本当に貴重でありがたいです。



無空さんの

「それは、どっちかと言うと統合の方ですね。

相対的には高いとか低いとか、波長が合う合わない、嫌い、好きも、これもまた、自然に在る。

そこに現れた存在にとって、そこで好き嫌いというのも自然。

究極的には、在るからはすべてが愛、一番深いところ、背景にあって、

その上で、高いとか低いとか、相対的な視点も排除せず、在るに落ち着ける。

それで本当にひとつで在るですね。」



そのように在れるようになるまで、粛々と実践を続けたいと思います。



そう在れれば、大丈夫です。


受講者
P.S.

お聞き苦しいかもしれませんが、

無空さん、吐き出させてもらってもいいでしょうか?



はい、何でもどうぞ。


受講者
若いころ、めちゃくちゃな生き方をしてきました。

(中略)

自分に自信のないこと不安なことをごまかしてたと思います。



そのようなことで、全体のバランスがとられていたんですね。


受講者
(中略)

人間として恥ずかしい生き方をしてきました。



人間としてという見方をすれば、そのような見方もひとつあるかもしれませんが、

在るとしては、どんな状態もただあるがままです。

在る(愛・全体)の視点からも、見れるようになるといいですね。


受講者
その頃の(もしかするともっと以前のものもあるかもしれませんが)苦しみや

罪悪感や後悔が身体に残っていて、それと、エネルギー的なものが

苦しい共鳴を起こしている感じでした。



在るという全体(愛)の立ち位置に立ち、個人であるご自身も含め、ただ在ること、ただ愛であることで、全体を癒してあげられるといいですね。

また、全体は、もともと愛そのもののままであるという気づき、理解もまた、助けになるかもしれません。


焦点を愛に当てると、それを中心に世界が形作られ、展開していきます。

立ち位置により、見えてくる世界、体験する世界が変わってきます。

何に焦点を当てるか、どの立ち位置に立つか、

どう在るか、どう在りたいかが大切です。

「すべてが愛を知りたい。それを生きたい。」という思いをお持ちでしたら、

ただそう在り、ただそう生きましょう。

ときには、それが難しいと感じることもあるかもしれませんが、

気づいたら、それに戻る。

それでOKです。

存在の深奥から、本当はどう在りたいのか、

それがすべてを導きます。

それがしっかりしていれば、これまで起こったこと、今起こっていること、これから起こってくること、

それは、どう在りたいかを実現するための、すべてが深い深い計り知れない愛からの恩寵となります。

そう見えなかったものまで、すべてが愛に変わります。

愛に帰ります。

ご自身がどう在りたいか、どう在るかで、すべてを愛に変えることが出来ます。

すべてを愛に帰すことが出来ます。

すべてを本来の姿に戻らせてあげることが出来ます。

ただ在る、

愛そのものである、

愛を生きることで、それが可能になります。


受講者
そして、最近の一連の流れの中で

在るに意識を向けづらくなっていること

在るの実践。在るを第一にできなくなっていることも、

やろう!と、決心した事が途中で意識が向かなくなったり、続けられなくなる時の

パターンが大きな意味で出ているのを感じました。



ここに向き合うのが無意識につらくて、楽になる「手段を探す」という方に意識が向くんですね。



個人として向き合うのではなく、全体である在るとして、愛そのものとして、個人も含め、全体を包み込めるといいですね。

どの立ち位置にあるかが大切です。

すべては在るから起こっています。

すべての究極的な責任は在るにあります。

(だからと言って、個人が無責任でいいということではありませんが。)

真に個人が起こせることは何もありません。

在るとして、愛そのものとして、全体そのものとして、責任を果たしましょう。

在るの責任は、在ること。

ただ在ることです。

愛そのものの責任は、愛であることです。

それは、ただその位置に在り、ただそれ自身であること、

ただ真の自己、真の自分自身であることです。

全体そのものである在るは、そのようにして、ただ在ることで、

すべてに対して、絶対的な責任を果たしています。

個人的に何かをしたいという思いが起こってくるなら、それもいいでしょう。

それも起こるがままにさせてあげましょう。

そして、それをも包み込んで愛(在る・全体)で在りましょう。

ただそう在りましょう。


受講者
それは、これまで10年ぐらい自分と向き合う。ということをしてきてたつもりでも、

どこか、山になると無意識に方法論に逃げてきてたのだと感じました。



ただ在るということの難しさと同時に、やはり、その尊さ、全てさ、貴重さを感じています。



せっかく、じっくり向き合って、付き合って下さる方との出会いができたし

向き合わなければではなく、ただそうである。ただそうであった。と、

起こるがまま、焦らずに、しこりになっているところと、

時間がかかっても、向き合っていけたらと思っています。



真の深い理解、トータルな理解が助けになるでしょう。


受講者
その中で、自然と、個人と全体の統合が進めばと願います。

(それらも起こるがままに執着せずに在りたいと思いますが)



こんな私が、悟りとか、在るとか、真我とか・・・

取り組まさせていただけるなんて、なんて・・・

どこかで、こんな私が、そこへ行ってはいけない。行けるはずがない。

そんな立派な生き方してこなかった。という許せない気持ちがあるのだとも感じています。



そうかもしれませんね。

でも、「こんな私が」とは、誰のことでしょうか。

それは、在るでしょうか。

その立ち位置からのシフトが、真の解決になります。

そして、在るの立ち位置に立ち、個人をも含めた現れすべてを包み込みましょう。

それが、あなたが、そう在りたいもの、それを生きたいもの、

「すべてが愛を知りたい。それを生きたい。」という思いの実現です。

愛(在る・全体)の立ち位置に立てば、すべてが愛であることが分かります。

それを生きることが出来ます。


受講者
本当に何度生まれ変わっても取り組む価値のあることだと感じていますので、

今回の人生で行けるところまで精一杯いけたらと思います。

(在るはいつも在り、在るからはみでることもなく、すべては在るで、在るから起こっているわけですが。笑)



「私が取り組む」からのシフトが起こりますように。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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