ただ気づいて在ること、ただ在ること。その上で、そのときそのときで、必要なことが起こる

受講者
一週間を振り返り

お盆がありました
昔から本当に嫌いです
家族を象徴する行事の一つ

寂しい  孤独  疲れる ひとりぼっち…惨め
その長年の否定的な感情が起こりました

浄化という感じではありません
思考、感情がただ起こったという感じです

それらの感情が起こっている真っ最中
その感情を感じきる というのは
変だった  違う感じ
感じきる者が強まる感じがしました



そうですね。
タイプ、また、プロセスによりそれぞれであるとも言えますが、
個人が持っている(と思っている)ものを軽くするのと、
個人自体を軽く透明なものにしていくのとでは違いがあります。
個人が持っているものを軽くしようとする方法の場合は、
書かれてあるように、その個人自体はそのままか、
(一時的な変化はあります。)
あるいは、より強まる可能性がありますね。
(個人がより強くならないよう“注意深く在りながら”、
個人が持っているものを軽くしていくことで、
個人自体を軽く透明なものにしていくアプローチへと進みやすくなるということは
言えます。
また、透明な個人といっても、
それぞれの存在から顕現、表現される特有の素晴らしき質等はそのまま残り、
その輝き、その純度は最高なものになるでしょう。)

そして、気づいてただ在るという在り方の場合は、
必要であれば、起こってきたものを感じるということが自然に起こります。
(または、感じようという思いが自然に起こります。
━起こってくる「思い」が後付けであることは、脳の観察等が書かれてある本の中で
述べられています。━)
そのような在り方であれば、感じきる者である個人が
強まるということはないでしょう。
無空庵で支持しているスタンス、在り方は、
ただ気づいて在ること(気づきそのものとして在ること)、ただ在ることです。

その上で、そのときそのときで、必要なことが起こります。
(必要であれば、何も起こらないということも起こります。)
ただ気づいて在るという在り方であれば、あるがまま起こるがままで在ることができます。
そのときの主体は在るであり、個人が強くなることはありません。
逆に、在ると同じようにあることで、個人はより成熟し、透明なものとなっていくでしょう。


受講者
それに気づいて在る 

そうすると
全体が和らぐ感じでした
いつの間にか元に戻り
また、感情が起こっても気づいて在る
それが自然な感じでした



とてもいいですね。
個人が主体となっていない、介入していないので、
とても自然ですね。
(もちろん、個人も必要に応じて自然に起こる場合は
あります。そのときは、違和感や不自然さはないでしょう。
また、在り方に違いはありますが、巻き込まれているときも、
同様に違和感や不自然さは、感じないでしょう。)

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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