制限のない自由よりも、制限の中での自由、制限がある中で感じられる無限の自由は、はるかに味わい深いものがある

受講者
実は、前回のお返事を頂いた時点で、
「定義をひとつの器、と考えることができますね」、
という意味が、よくつかめておりませんでした。

でも、今回頂きましたお返事で、
いろいろなことが明確になってまいりました。

> (ここでの器とは、輪郭、個人を定義付けるもの、また、
> (中略)「制限と限定」というような意味で使っています。)

「器」というものを
「輪郭、定義、制限、限定」、といった意味で捉えるとすれば、
それは概念としての「器」、の色合いが強いと思います。



はい、そして、それが現れのレベルに大きな影響を及ぼしますね。


受講者
意識の奥にある観念は、解体すればすべて概念なので、
「自分は○○だ」、「オレは○○だ」という観念は、
概念としての「器」、と捉えられるかと思います。
(もちろんそこには、プライドや社会性からくる「感情」や、
その観念を支える「物理的現実と行動」が
くっついているのですが・・・。)

立ち位置が「個人」を超えるとき、
それは「自分は何ものでもないもの」になることなので、
「器」を「概念の器」の意味で捉えるなら、
「器がなくなる」、は分りやすいことでした。



わたしの方でも、少し言葉が足りなかったかもしれませんね。


受講者
しかし、「器」という言葉を
「許容量、キャパシティ」という意味で捉えるとき、
それは感情体験や、現実の物理的体験レベルの意味を
帯びてきます。
概念とは、それ自身の中に動きを持たない「静」なるものですが、
感情・感覚、物理体験は、「動、プロセスの世界」となります。

「あの人は、器の大きな人だ」、とか、
「いや、自分はそんな器じゃない・・・」、とか、
「器が成長していく」、というとき、
それは「プロセスにおける許容量」のことです。
それはまさに、今回、無空さんのおっしゃられた
「自然現象としての臨界点」を意味している、と思います。

ですので、その「器」がなくなる、ということが、
前回はさっぱりイメージできませんでした。

生きている上で感じる「限界」をわざわざ強調したのは、
人間には、そういう「器」というものがあるのでは・・・?
ということを、実は申し上げたかったからでした。

個人を超える、といっても、
そういう「現象界の存在である器」そのものが、
そうかんたんに「なくなる」わけもない、
「自らの器」と向き合って生きていく、という生きるプロセスは、
生きる上で変わりようが無いのではないか・・・。



そうですね。
より真我主体へとシフトしていく中で、その器が徐々に広がり、
そして、より透明になっていくとも言えます。
そして、真我が確かな主体となり、
さらに変わらない源である真我と
その現れとしての現れている真我が統合されると、
ときには、器無き器、無限性が
そのまま表現されるようなときもあるでしょうし、
器が必要なときには、
その器に即した表現が自然に現れるようになるでしょう。
また、そのときには、
書かれています「自分の器」という認識も、
個人主体であったときのそれとは、また違ったものになっているでしょう。
「自分の」というのはより透明になり、
「器」というものもより軽やかなものとなっているでしょう。
ただそれは、
無限の真我が現れるためのひとつの素晴らしき媒体
と捉えられるようになるかもしれませんね。


受講者
実はそう思って、自分自身の限界を「ダシ」にしつつ
書かせて頂きました。


しかし、それに対して大変深いお返事を頂き、
受け止めて熟成させるべきことをたくさん感じました。
深いテーマがたくさんあり、
それについて、ここに書ききれるものでもありませんし、
しばらく自分の中で、体験とともに熟成したいと思います。

ここまで、三回に渡り大変丁寧なお返事を頂き、
自分なりに熟読させて頂きましたが、
まだ読み足りない、と感じています。
いろいろな発見や気づきがあり、深いメッセージがある、
と思うからです。



あなたは、それを感じ取る力がありますね。


受講者
今まで書いて頂いたことについて、少し整理しますと、
無空さんは意識の視点・立ち位置について、
大きく三つに分けて書いておられましたね。

1.自我(個人)の生きる「現れの世界の視点」、

2.個人・自我を超えた、無限の源の世界としての
「在るの一元的な視点」、

3.在るに自己を確立しながら現れを統合して生きる、
「(在るの)トータルな視点」。



3では、「生きる」という主体性
(純化された純粋な主体性、あるいは、
それそのもの、生きるそのもの、生そのもの
という在り方。)と、
「生きることが起こる」という客体性と言いますか、
そこから離れている視点と、
その両方が、自己理解の力により
矛盾無く自然に働きます。

(その他、少し違った角度からの視点として、
「生きる」という能動性と
「生きられる」という受動性も
また、同様に働きます。)

また、3の統合された状態では、
1の視点も2の視点も排除されることなく、
それらが生き生きとあるがままに
最高の輝きを放つようになるとも言えます。
在るそのものが栄光であるという視点からは、
それは栄光の栄光化とも言えるかもしれません。
(それはとても自然で、普通なものでもありますが。)

個々の体験は、より味わい深くなり、
同時に、普通に自然に軽やかに体験され、
それらひとつひとつにとらわれることなく、
全体そのものであることも忘れられないまま、
生が展開されていく状態。
不動の中の動、動の中の不動が実現されている状態
とも言えます。
(でも、それはけっして特別な状態ではありません。
ひとつの言い方をさせて頂ければ、
すべての皆さんが、今日常で体験されている状態そのままでありながら、
それがそうだと知っている状態、
トータルな理解、自己理解がある状態、
「これでいい」
「ただそうである」
「本当に今ただあるがままなのだ」
という認識と理解と実感がある状態とも言えるかもしれません。
━知っているという理解があれば、
同じ状態でも見え方、感じ方は変わってくるとは言えますが━
そういう意味で、理解・自己理解というのは、とても重要です。)
それは、ひとつひとつの体験の重み、貴重さ、かけがえのなさと、
無限の軽やかさ、とらわれのなさ、透明感等が
同時に実現されている状態です。

ここまで書かせて頂いたことを、
セッションを受けられている方から出てきた表現で見てみますと、
その(統合された)位置に立ってみると、
これまで(個人主体であるとき)と、
日常(日常感覚・日常体験するものの感覚)は
まったく変わっていないけれど、
同時に、全然違う。
というものがあります。
そこには、
「まったく変わっていない」という感覚と、
「全然違う」という感覚の
両方があります。
そこでは、
普遍的なもの(まったく変わっていないという感覚をもたらすもの)と、
自己理解の力(それまでとは全然違うという感覚をもたらすもの)の
両方が働いています。

そこでは、すべてはあるがままである、ただそうである、
すべてはただ起こっている、そして、
本当は何も起こっていない、誰もいない、世界はない
等の視点も生き生きとしていますし、
個の視点、そして、
すべては真我である、すべての存在は真我であり、世界は真我である
という視点も生き生きとして在ります。
(理解としてはすべてがありますが、
必ずしもすべてが同時に体験されるわけではありません。
ただ、どれかひとつの視点が体験されている場合でも、
その背景には、他のすべての視点の理解がある、支えている
という状態です。)

すべてが統合された状態では、
無限の視点のすべてが、けっして他とぶつかることなく、
それぞれが生き生きとして在り、
それ自身である全体の中で、そのときどきに応じ、
自然に、適切に、必要な視点が働くようになります。
(複数同時に働くときももちろんあります。)


受講者
最初は、そういう分類の構造が見えなかったので、
何か視点・立ち位置が出てくる度に、
「これは一体、どういう意識状態をイメージすればいいのだろう?」
と、机の前で目を閉じて必死に思い浮かべていました。(大変でした。笑)



(お疲れさまでした。)


受講者
以前、「神との対話」で出てきた、
「超意識」(魂を生きる段階)、そして
「超絶意識」(魂と自我と身体が、完全に一体化した状態)
を思い出してみたり・・・。
(ちなみに超絶意識では、思ったことや意図したことが、
タイムラグなく「即座に」実現される、と「神」は語っていたので、
「器がなくなる」、とはそういうレベルのことか・・・?
とか・・・。)

臨在禅の「十牛図」を思い出してみたり。
つまり、牛を求めている「求道者」としての「個人」、
そして、牛と世界が消えてしまった8番目の「在る一元の視点」、
そして、「在るのトータルな視点」というのは、
現実を自由に生きる、「聖なるよっぱらい」(布袋様)の
10番目の図のイメージだろうか?
とか・・・。

でも、実は本当に大変だったのは、
書かれた意識の状態を、何のイメージもないまま、
意識の中を検索し続けている時でした・・・。
机の前で、少し読んではじっと目を閉じて心を澄まし、
意識に何が浮かぶか探り続け・・・。



イメージがないままというところが大変だったかもしれませんが、
イメージというのは、ある意味、マインドでもありますので、
(ここで書かれているのは、
分類の構造のことを指しているのかもしれませんし、
何か手がかり的なもの、あるいは、
すでに体験され、知っている意識の状態のことを
指しているのかもしれませんが。)
もちろんそこを手がかりに
マインドを超えたところへとシフトしていくということもありますが、
それ自体が足かせになる場合もありますし、
純度を下げたり、歪みを作ったりする可能性もあります。
そういう意味で、
イメージがないまま意識に探索させていったというのは
意識の本性を
ただただ純粋にトータルに働かせることができたという点で
とてもよかったのではないかと思います。


受講者
しかし、何度か読み込む中で、無空さんが一貫して、
1.「現れ」(顕在化した世界)、
2.「源」(潜在、見えない世界)、
そして、
3.「両者の統合」(すべてが一つとなった世界)、
という「三つの立場・視点からの見方」について
繰り返し語っておられるのだ、ということが分ってきました。

1顕在、2.潜在、そして、3.両者の統合(中庸・バランス)・・・。
1.陽と2.陰、そして3.陰陽の交わり・・・、
1.既に「現れた」過去、2.未だ「現れない可能性」の未来、
そして、3.両者の接点にありながら両者を含む「今」・・・。

そういう構造と同じものであり、それは、
実はどこにでも普遍的にある視点であり、
それほど特別なことをおっしゃっているわけでもない、
しかしそれと同時に非常に深いものでもある、
と思いました。



素晴らしい理解ですね。
それ(真我・在る)は、どこにも普通に普遍的に在るものであり、
かつ、これほどに奇跡的で、計り知れなく、玄妙なるものはない
というものです。

在るはすべての源であり、
そのただひとつのものが、多様性として現れています。
ですから、その現れた姿形はそれぞれ、様々でも、
構造はすべて同じです。


受講者
限界と無限の関係についても、
それを現実に実感し、それを生きる世界においては
どこまでも深いことだと思いました。



そうです。
制限のない自由よりも、
制限の中での自由、制限がある中で感じられる無限の自由は、
はるかに味わい深いものがあります。
(覚醒関係で言えば、
思考が起こらないこと、マインドが起こらないことが
賞賛される場合がありますが、
思考が起こらない自由、マインドが起こらない自由よりも、
思考、マインドが起こっても自由であるという方が、
はるかに自由度が高いとも言えます。
それは、あなたが言われる、
器、キャパシティ、許容量ということにも通じて来るのではないか
と思います。)
現れという限界がある中で、感じる無限性の深みには、
まさに限界がありません。


受講者
> ある意味、無限とは、
> 限界をどんどん広げていった延長線上にあるものではなく、
> ある地点で起こるパラダイムシフトとも言う事ができます。

そうですよね。
そして、まさにそこに「個人」と「在る」についての
あらゆるテーマがあるのだと思います。



よいポイントに気づかれていますね。


受講者
自我でなくては経験できないことがある・・・、
それを生きるプロセスが「自我という器の創造プロセス」でもある、
と思うからです。



それは、ひとつの視点からは、
在るの本性、働き、その構造の中に備わっているもの、
在るが在るであるために欠かすことができないもの、
絶対必須なものである
ということができますね。


受講者
でも、そこから目覚め始めるとき、
その創造プロセス(創造の局面)が終わるのかも知れません。。。
(目覚めていない人間が言うべきことかどうかは分りませんが。)



違う視点から見れるようになります。
創造という働きは続きますが、
視点が変われば、それはまったく違ったように見えます。
ですが、それまでの視点もけっして排除されるわけではありません。
そして、それが自然に統合されるには、
変わることのない在る・真我というしっかりとした土台が必要です。
常に変化し、起こっては消えていく
不安定で不確かなマインド(自我を含みます)では、
マインドの世界で矛盾したり、ぶつかったり、相容れないものを
真に統合することはできません。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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