知っているところ

受講者
感情の噴出が続いています



大きな浄化が起こっていますね。

プロセスをある程度進んだ後に、そのように大きな浄化が起こってくることがあります。

前回気づかれたように、初心に立ち返り(どうなりたかったのか、どう在れるようになりたかったのか)、
また、今回のセッションで、マインド等が起こりながらも変わらずにあった在るに戻りながら、起こってくるものを起こらせましょう(起こってくるものも肯定しながら。)

そして、ご自身の中に確かに在る「知っているところ(真実)」を信頼し、進んで行きましょう。

(無空庵で最も注意を向けているのはそこであり、無空庵のすべてはそこを中心に、そこから起こっています。
その現れ方は、状況により多様ではありますが、それに気づきながらも、その現れ方に左右されずに、常にどこに注意が向けられているかというところを忘れずに、また、ご自身が何を実現したいのかを忘れずに、実践を続けていただけたらと思います。)

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浄化も様々な形で起こってくる

受講者
セッション後は、身体と、感情の両面で、浄化反応が続き、今は疲れ気味です。



浄化も様々な形で起こってきます。
浄化反応が続いているということは、確かな実践ができているということでもありますが、それは、物理的に起こってきますので、確かに大変な面もあります。
起こっていることに気づきながら、起こるものを起こらせ、休めるときには、可能な限り心身をリラックスさせ、休ませましょう。

クリアになりながら、より深まりながら、様々な形でより深い浄化も起こってくる

受講者
最初の共鳴
塊が溶けて境界線が
なくなる。

アイコンタクト
ハートが締め付けられる
感覚が出てきました。
感覚として見ていられたので
苦しくありませんでした。



在る力が増してますね。
それは、起こること、感じられるものからも自由です。


受講者
瞑想の共鳴
ハートの痛みそのものが
鳥の鳴き声を聞いて
その生命に喜びを感じていました。



本質としての生命はひとつであり、それはすべての現れを貫いています。
素晴らしい立ち位置、在り方で在りますね。


受講者
ハートの共鳴
ハートの中で
全ての現象が起こっている。



はい。


受講者
立場を変えての共鳴
全体の中の一部分
離れてない感じ。

立場なしの共鳴
ずっと前から知っていた
感じでした。



在るの在り方(真実)のひとつですね。


受講者
日常はなにも起きていないのに
ザワザワして落ち着かなくって
在っても在れていませんでした。

やっと在るに浸れるようになったと
思っていましたら、
またこの感覚が出てきて、元に戻って
しまった感覚になっていました。

話を聞いて頂いて、
アドバイスして頂いて、
マインドの言っていることが
違うことがわかりました。



はい、クリアになりながら、より深まりながら、
様々な形でより深い浄化も起こってきます。
以前と同じようなものが出てきたからといって
元に戻ったのではなく、
在るの実践を継続しながら確かに進んでいるために
それは起こってきたということを理解しましょう。


受講者
今日のセッションで体験させて
頂いたように在るであれば
あまり感じたくない感覚も
感覚だけなので
苦しくありませんでした。



はい、素晴らしい在り方でしたね。


受講者
これでしたら何が起きても
大丈夫ですね!



そうですね。


受講者
ザワザワ感が在るになることの
障壁になっているのではなくって、
私の意識がまだマインドに重きを
置いているんですよね。

この1年でものすごい変容を
させて頂いたんですけど
まだまだ、
のびしろが十分ありますね笑
在るの実践を引き続きやっていきます。



はい、のびしろは無限です。
地道な実践を継続していきましょう。

今の在るがままの自分自身に気づいて在り、それをそのまままるごと肯定、受容するところから、すべてが流れ、自然な変容、展開が起こっていく

受講者
立場を変えての共鳴

この愛をこの愛と感じることが幸せです!と

わたしにとってひとつの愛のフィーリング

目印でもあったわけですが!!



へええええ~~という感想です


至高の愛

真実の愛って!!!!!!



その言葉ではない世界ですが


どんな思いやフィーリングでもないところ

でした



元のところ、超えたところとも言えますね。

そこを愛という言い方もしています。


受講者
わたしはまだまだ思い込んで

真我や

その真我自身の愛を

こういうものだと概念に置き換えようとしていたのかもしれません



体験、実感により自然に理解が起き、そこから自然な概念化が起こることはありますが、

それだけに限定しないこと、また、それが素晴らしいからとそれだけに執着しないこと等が

大切です。

限定したり、執着したりすると、他の視点、他の立ち位置(にある方のこと)がよく見えなくなります。

在るは、真の愛は、もっと大きく、もっと繊細で、もっと柔らかく、すべてを包み込みながら実在しています。


受講者
立場なし・ニュートラルの共鳴は

ゼロ

これを言葉に代えることは出来ないです!!



はい、とても直接的ですね。


受講者
本日も

素晴らしいセッションをありがとうございました

いつもありがとうございます

また次回どうぞよろしくお願いいたします



こちらこそよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。


受講者
ps


なかなかにしつこい疑問や愚問がぞろぞろと出てまいります。。

少しずつでも理解が進むといいです


受容出来るということもひとつの理解ですね



はい。


受講者
また

無知の闇を照らすというのもひとつのあり方だと思います

(在るの理解を深めていくということですね)


世間では

非二元的悟り(個別の私はどこにもないと腑に落ちて
全体だけが有るという体験)体験が流行っているようです。。。




無空庵さんの「在る」的悟り体験の大きな違いは

至福後の在り方にあると思うのです



はい、体験(悟りの一瞥等)は、真の自己実現、

在るの実現(存在全体での実現)のスタートのきっかけになることはありますが、

在り方は、体験前、体験中、体験後もずっと大事です。


受講者
それについては

それぞれでもあるとのお話もありましたが

どうにも

わたしは

無空さんのセッションとは

至福である自分自身というのは

大前提のセッションだなあって思っているのです


その至福でもある自分自身が

普通

当たり前の自分自身であるといったところまで


落ち着いていくそのプロセスが

ここ無空さんのセッションだよ~って思っているのです



本質的にはそのように言ってもよいと言えますが、

在るの在り方は無限であり、

今の視点を軸としながらも(それぞれの方のそのときどきの理解に応じて、

そのときに開かれているもの、進むための土台、中心になるものという意味で)、

在るの無限性により柔らかく大きく開いて在れるといいかもしれませんね。

理解の進み、深まり、更新により、それも促されていくでしょう。

執着していると苦しくなります。

理解が深まるとより楽になってきます。


受講者
覚醒体験

自分自身であるという

貴重な体験をされる方は多いのでしょうか


しかしその後(至福が続いた後)


思い込みの闇へ落ちていくことのないようにと^^;

(自分自身もそうですが)

あああ~

またまた出てきます。。。


余計なお世話ですよね。。。



すいません。。。



今の在り方(在り様、状態)、理解から自然に起こってくるものです。

気づいていればOKです。

今の在るがままの自分自身に気づいて在り、それをそのまままるごと肯定、

受容するところから、すべてが流れ、自然な変容、展開が起こっていきます。


受講者
psから

下は感想公開時に

削除していただいたほうが適切でしょうか。。



いえ、そのまま投稿させていただきたいと思います。

ひとつの視点として、他の方の参考になるところもあると思います。


受講者
継続されない方々や

非二元的悟り後に虚無に陥っている方々を

否定するつもりは全くありません^^


わたしの中に

まだまだ

愛についての理解を深めたいという思いがあります



その思いは本当に素晴らしいものであり、

また、存在にとってとてもありがたいものです。

その思いの強さが、自分自身を導いていってくれます。


受講者
ここ

わたしにとっては

結構しつこいマインドの浄化かもしれませんね



思いの核のところは、在るである本質、本性です。

在る(真我、愛)の実践を重ね、全体を純化、変容、成熟させていきましょう。


受講者
継続させていただくことの

喜びは計り知れないです



その喜びを感じれる方は幸いです。

そのマインドにも気づいて在ること

受講者
人として

真我で生きること

その有様というのはそれぞれでもありますが

こと真我に対する理解を口にすることは

真我が実現されていることとは

まったく別なことという理解なんです

さらに解脱もまた同じです



そのようにも言えます。


受講者
自己理解は深いからこそそこに至福もあります
理解は無限ですね



そうですね。


受講者
ちょっと知ったくらいで

どやさ!!って(笑)思います!!!

(このマインドにも気がついておきましょう~~)



その通りでもありますが、やはり書かれてあるように、

そのマインドにも気づいて在りましょう。

ここのポイントに関し、何度かご紹介しておりますが、

ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」からご参考までに。

**********


質問者
ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの
努力をよく叱ったそうです。
彼女は、彼らを熟する前に摘み取られたマンゴーに比較して、「どうして急ぐの?あなたが完全に熟し、
甘く、芳醇になるまで待ちなさい」と彼女はよく言ったそうです。

ニサルガダッタ・マハラジ
何と彼女は正しいことか!
多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを昼と間違え、過剰な自尊心から
彼の得たわずかばかりでさえも台無しにしているのだ。
謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)にとって本質的なものだ。
完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の発揮を許すことができるのだ。

質問者
あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈黙を七年、十二年、あるいは、十五年、
または二十五年にわたってまでも守っていくといいます。
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。

ニサルガダッタ・マハラジ
そうだ。内なる果実は熟さなければならない。
それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることが必須となる。
徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のないものとなる。

***********

また、「理解は無限」ということに関しても、一箇所だけご紹介させていただきます。

***********


質問者
探求は終焉するときが来ます。
探求者は残るでしょう。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。

質問者
探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、そして不完全を意味します。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存在の根本である真我を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべての落ち着きのない切望が終わらなければならないのだ。
 実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解しなければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドの中で区別不可能となったとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたが在るからであり、あなたが存在するのは神が在るからだと知るだろう。

***********

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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