無為

受講者
先ほどは、ありがとうございます。

仕事は、やっているはずなのですが、
いつも、何もしていないような感じが
続いているお話をしました。



自我である「自分が、私が」というもの、
「自分が・・・している、私が・・・している」というものが
弱くなってきている、薄くなってきている、あるいは、起こってもすぐに消えていっている、
あるいは、起こらなくなってきている、という感じかもしれませんね。


受講者
共鳴中、無空さんが、言われた、私は何もしていない。。
という言葉が、ぴったりな感じ。。です。



ただ在るだけですね。

でも、真にただ在れているときには、何もしないのではなく(その存在を通して何も起こらないのではなく)、
今のあなたのように、そのときそのときの状況に必要なことが存在を通して自然に起こっていきます。

(何も起こらないことが必要なときには何も起こらない、ということも含めて。
また、何が起こるのが適切なのかは、それぞれの視点により様々ですが、
真のところは、マインド、あるいは、人智を超えたレベルにあります。)


受講者
共鳴は、今のエネルギーにドップリと
両足から入るイメージをしてみました

あるテレビドラマを見ていた時
両足、ドップリ浸かったなという言葉が、とても
印象的だったので、
いい意味での、抜けないくらい、ドップリ
浸ろうと、思いました。



それも自然に起こった感じですね。


受講者
ハートの共鳴も、立場を変えての共鳴も、

今まで、培った、知識も、みんな
溶けるようにもイメージしてみました。

そして、溶けてゆくようでした。



そのときどきで、必要な知識というものはありますが、
あるところまで来ると、ただひとつであり、すべてであるもの(在る、愛、全体、本質、自然、真の在るがまま、真・善・美)が
それまでのものに取って代わるようになってきます。

また、「溶けてゆく」という表現からは、

すべてのものは、そこ(在る、愛、全体、本質)から現れ、そして、またそこへ還ってゆく、

そこに溶けてゆく、

それだけが在る。

という視点、理解も見ることができます。

もう少し違った表現をすれば、在る(愛、全体、本質、ひとつであるもの)から
そのときどきの状況、必要により現れ、歩みをサポートしていた知識が、
在る(愛、全体、本質、ひとつであるもの)に統合され、
それまでの形を必要としなくなった、という見方もできますね。

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ただ在ること、ただ愛として在ること、それがすべて

ただ在ること、

ただ愛として在ること、

それがすべてです。

(それは、何かをすること、そこから何かが起こること、

適切な何かが起こることと全く矛盾しません。

それは、すべてのベースにあり、すべてを支え、

すべてを育み、すべてを包んでいきます。)

真の自己理解

受講者
日常では、在る=自分であるということについて、疑いようがない、とても普通のこととして理解されていることに気が付きました。
本当に普通です。
それと同時に個として、やはり普通に様々な事が体験されている事がやはりとても不思議です。



とても自然に統合されて在る感じですね。
気づかれたことにより、そこから理解がまた自然に進んでいくでしょう。

在る=自分、在るそのものであること、日常を丁寧に在ること、丁寧に生きていくことを重ねていくことにより、
真の自己理解が、思考、感情、肉体等現れを含む存在全体に浸透し、自然でゆるぎないものとなっていきます。

存在全体がひとつとして、(個も含め)それまで開かれたすべて(すべての在り方、すべての理解)が在り(必要に応じて起こり)、
とても自然に統合されて在る在り方です。

すべてのすべてであるもの、ただひとつであるすべて(在る、愛、全体、生命、純粋意識、至福、真・善・美)とは、そのような在り方で在ります。

存在の自然

受講者
日常では、ストレスを感じていました。



存在の自然、
それにより、在るがより確かなものとなっていきます。

現れ

受講者
1共鳴
目の前が少し遠くなり、目の前の現れを「在る」が
見ているような感覚でした。

2アイコンタクト
焦点が合わず、周囲が明るく見えました。
机が歪んで見えたり、
無空さんのお顔も歪んで見えたりしていました。



自分自身である在るの方により焦点が当たっている時、
そのような感じになることがあります。


受講者
3瞑想
空間が広がっていて、
その空間そのものが「在る」であり、
外から聴こえてくる音や
自分の思考の声が
「在る」の空間の外側に感じました。



源と現れ、
本質である源として在るの立ち位置にあるときには、
そこから現れる現れは、はじめの共鳴のときのように遠く感じられたり、
今回のように外側というか、けっして触れられない、けっして影響を受けない在り方
(けっして破られることのない静寂、平和、けっして侵されることのない自由等)
絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫の在り方であるというように感じられることがあります。


受講者
4ハートの共鳴
「在る」の空間を無空さんと二人で共有し、
1つの空間の「在る」にいるような感覚でした。



一であり、同時に多である。
また、3の瞑想のときとは別の在り方で、現れ、あるいは、それ自身からの起こりも
それ自身の中で起こっている、
すべてはそれであり、すべてはただそれとして起こっており、
本当は何も起こっていない、

(何も起こっていない、それだけが在る、自分自身だけがある
絶対安心、絶対安全の中で、すべては起こっていて、
そこでの体験、実感、気づき、理解の積み重ねを通し、
在るは不変不動のまま、無限に成長していきます。
そこでの理解の深まり、広がりは、そのまま存在の深まり、拡大になります。
無限そのものでもある在るは、無限のまま、無限に深まり、無限に拡大していきます。
それが無限そのものでもある在るの自然本性です。)


受講者
一人一人にそれぞれに「在る」があるわけではなくて、
「在る」しか存在していなく、
二人が個別の人として見えてるのはただの現れであるという
お話がありましたが、
それを体感したのだと思いました。



そうですね。
それは、“ただ”の現れ、在るにとって(普通そのもの、自然そのものでもある在るにとって)、
“普通”の現れ、自然の現れ、自然な現れ、
そしてまた、不思議な現れ、玄妙、霊妙、神妙な現れ、
けっして現れることのない在るにとって、奇跡の現れ、
既知である実在であり、同時に未知、無限の可能性そのものである在るにとって、
自分自身を様々に体験し、
(本質としてのそれ、現れとしてのそれ、トータルなそれなど、
それ自身を様々な角度、側面、在り方、関係性等を通し様々に体験し)
自分自身に無限に気づき、自分自身を無限に知っていくこと、
自分自身を無限に表現し、自分自身を無限に実現していくことを可能にする、
とても貴重で、ありがたい現れです。

本質であるそれにとって、まったく取るに足らない現れ、
(これも無限の在り方である在るの理解の一側面の表現でしかありませんが。)
本性(ほんせい)そのものであるそれにとって、これ以上なく貴重でありがたい現れ、

本質も愛であり、本性もまた愛である。

愛だけが在ります。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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