在るはトータルであり、特定のひとつの側面や項目だけでなく、様々な側面が同時に学ばれて、自然に変容していく

受講者
今回のセッションで感じたことは

自惚れ(どこまでもエゴに気づいてる)

謙虚さ

を同時に学んでいく?ように思いました



よく気づかれていますね。

そのように在るはトータル(ひとつであり、トータル)であり、

特定のひとつの側面や項目だけでなく、

様々な側面が同時に学ばれて

(あるいは、気づかずとも存在の中心から、

また、存在全体から存在全体に影響を受け)

自然に変容していきます。

そのような進行の仕方をしますので、

多くの場合、いつのまにか変わっていた、

気づいたら変わっていた、というような自然な変容となります。

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在るがよりしっかりすることで、様々な展開、流れもよりスムーズになっていく

受講者
人と関わっていて、どう対応したらいいのだろう、など少し行き詰った時に在るを意識したら、なんとなく展開していったことがありました。
こうしたらこうなる、といった効果を求めるものではないのでしょうが、在るを意識できると、ふわふわしていたところに軸がしっかり通る感じがしています。



とてもよい感じですね。

在るを意識することを繰り返していくことにより、それはよりしっかりしたものとなっていきます。
在るはすべての土台でもあり、すべてはそこから展開していきます。
在るがよりしっかりすることで、(全体的な環境、状況等もあり、またそれを含めながら全体としてですが)
様々な展開、流れもよりスムーズになっていくでしょう。

マインド的な意味ではないが、在るはもっとも欲張り、無限に欲張りということもできる

受講者
ハートの共鳴
「欲張り」という言葉が浮かんできました。何かを体験すると、それだけ感情も動くし、思考も活発になるけれど、実はそれを望んでいるのかもなあと感じました。



セッションでもお話ししましたが、在るも体験したいんです(自然本性からのそれです)。

無限そのもの、無限の可能性そのものであるそれは、個人体験もしたいし、思考も、感情も、本質であるそれ自身も、そして、それが現れと統合されたトータルなそれも、

さらに未知なる深み、広がり、すでにそこに在り、それであるけれど、未だ具体的には知られていない、開かれていないそれ自身、無限であるそれ自身を

どこまでも無限に体験し、実現し、知っていきたいんです。

(「これでいい」、「知っている」、「不動不変」、「絶対」等の質、在り方も同時にあります。

無限の深まり、無限の開かれ、無限の更新等よりも、こちらの在り方の方が強いケースもあります。

参考:「I<わたし> 真実と主観性 デヴィッド・R・ホーキンズ著」 より

けれども、これレベルの進化は通常あまり起こりません。意識レベルが600に達した時点でそこで止まり、
残りの生涯をそのまま過ごす場合がほとんどです。
各レベルの啓示はそれだけで完結していて深い満足を与えるので、その達成感がさらなる意識の進化を停止させてしまうのです。
ほとんどの覚者が600を超えたところで完結するのはそれが理由です。
その状態の至福があまりにも完全なので、さらにその先があるようには見えないのです。
しかしある意味では、その結論は正解です。
というのも、各レベルはそのレベルにおいて完全かつ完璧だからです。
そのような達成感や完了感は、500台の上位以上から現れます。
そこには好奇心も未完了感も残っていないので、先に進もうという探求心が起こりません。
わたしの場合、そこから先の各レベルにおいても、真理に対する開放性は持続していました。
ですからどこかで、完璧に完結しているのではなく、進行中の過程であるということを認識していたのです。
おそらく「自己」がさらなる進化の中で自らの本質と潜在的可能性を表現するために、前進しようとする意志を働かせたのでしょう。
そして、何よりも、おのずと起こる進化の過程に身を明け渡したいという意志が決定的な要素でした。
創造は条件が整ったとき、その潜在的可能性を表現するのです。)

そのような視点から言うと、マインド的な意味ではないですが、在るはもっとも欲張り、無限に欲張りということもできます。

ただそれは、それ自身であり、ひとつであるものですので、けっしてその欲、望み、願い、自然本性により起こってくるものがどれほど多くても、

それ自身からはみ出すことはなく、それ自身の中に収まりきらないということは絶対的にありません。

その欲張りは、同時に、適切で的確であり、分相応、無限の在るにふさわしいものです。

理解が進み、深まり、よりトータルになっていくと、真の自然、真の在るがままが実現されていく

受講者
ハートの共鳴では、私自身は在るに徹底していましたが



“徹底” とてもいいですね。


受講者
ハートチャクラがふわぁ~っと温かく反応していて、
ハートに意識を持って行ってないのに反応していた事が
印象的でした。



はい、在るは無限そのものでもあり、無限の側面、無限の在り方があります。
どのような環境、状況(関係性等含む)であるか、
どのような認識、角度、視点、立ち位置、理解等であるかにより、
それ自身から起こる反応、見え方、感じ方、体験等が変わってきます。

全体であり、ニュートラルであり、何ものでもない在るは、
自発的に起こる(あるいは在る)それ自身への気づきからの連鎖、展開、
あるいは、それ自身における無限の反射、無限の振動、無限の相関関係の中で、
そのように振る舞います。

それは、常にいかようにでも振る舞う(起こる、反応、応答する)準備ができています。
在る、無為、真の何もしない、は、空虚にただそこにあるのではなく、
満ち満ちて、“これでいい”と自己充足しながら、
同時に、それ自身から起こる何か、それ自身の中で起こる何かに対して、
常に即座に反応、応答する準備ができている状態、在り方で在ります。


受講者
途中、身体の中のうねりのあるチャクラに反応しかけましたが
焦点を当てずに見送りました。

チャクラにしても光にしても過ぎていく体験なので
とらわれずに、ほっときました(笑)



はい、反応、焦点が当たること、見送ること、
それも自然に起こりますが、
生まれてからこれまで、起こったものに焦点が当たる習慣がついていますから、
ほっとく練習もしましょう(笑)。

動かないもの、いつも在るもの、ずっと当たり前に在るもの、静かなもの、
すべてに気づいている意識そのもの、自分自身、真の自己には、
焦点が当たりにくいですし、焦点を当てる習慣がありませんので、
そこに焦点を当てる練習、それそのものである実践を重ねていきましょう。

理解が進み、深まり、よりトータルになっていくと、
それ自身から起こる現れ、現象もまた、それである、
すべてはそれである、という理解のもと、

そのときどきで、起こったものに(必要なだけ、必要な配分、必要な強さで)焦点が当たること、
見送られること、
反応すること、無反応等、
真の自然、真の在るがままが実現されていきます。

(すべてが同時に進んでいくという側面もありますが、分かりやすく言えば、
まず変わらない本質、源に確立し、それからその現れが統合されていく━統合の前には、源と現れ等の識別も必要です━、というプロセスであるとも言えます。)

それ自身をシェアすること、それは在るのよろこび

受講者
外にも内にもない感じと答えた後に、
無空さん に「いい感じですね」と言われ、
感じている言葉に出来ないこの感覚をシェアして頂いた事が
とても嬉しかったです。



それはよかったです。
シェアされることによって、それはより確かなものになっていきます。
焦点が当てられ、感じられ、表現され、確認、再認識されることで、それはより確かなものとなっていきます。

そして、今回、あなたが嬉しかったと同時に、在るが嬉しかったという表現もできますね。
あるいは、個として現れたあなたを含めた在るが嬉しかった、
さらには、在るそのものであるあなたが嬉しかった、という言い方もできます。

それ自身を自覚すること、それ自身を感じること、それ自身を知ること、
無限に知っていくこと(初めて知るという感覚と同時に、すでに知っているという感覚が在ります。
ただひとつであるものは、そのような在り方をしています。
とても不十分ではありますが、現れ的なひとつの表現をすれば、
知そのものであるそれが、具体的に開かれていく、
ある意味、相対的な“知らない”も含んだ絶対的、全体的、総体的な“知”、
“知っている”がすでに在り、
その“知っているという事実”、“知っているという感じ”はそのままで、それが具体的に開かれていく、という感じでしょうか。)
それ自身をシェアすること、それは在るのよろこびです。

一なるものが一なるまま多であることで、シェアは可能になります。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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