無空庵では、長い瞑想等ではなく、日常の中で、在ると現れを何度も行き来することにより、真の在るがままの実現を促していく

受講者
在るを実践していると、ふっと深まる事がありその時は、
何にも無いんですよ。無い感じなんです(本当に)笑



とても伝わってきます。
在るとは、相対的な「ある」、「ない」ではありません。
在るの在り方のひとつとして、(絶対的な)「無い」があります。

(在り方のひとつという表現をしましたが、同時にそれがすべて、
それですべてでもあります━ひとつの在り方が他の在り方のすべてを含んでいます━。
すべてのすべて、あるいは、無限そのものでもある在るのそれぞれの側面ひとつひとつ、
それぞれの在り方ひとつひとつは、すべてそのような在り方をしています。
そのような視点、理解からは、「無い」のひとつの在り方として、「在る」があります。
というような表現でも、まったく同じなのです。)


受講者
呼吸が、おへその下まで、尾てい骨まで、
深く、深く、浸透していくような、
そして、呼吸していることも忘れるくらい

ここはどこだろう。
(調べてみても)
どこでも無い感じです。



はい、それは時空、現れを超えていますので、特定のどこという認識はけっして起こってきません。
そこには、こことあそこというような2点がありません。

どこでもなく、誰でもないもの、それがすべての現れの源、原初そのもの、
ニュートラル、空、無、実在、全体、愛、生命、真・善・美・・・
それは、(現れを含む)すべてを支え、すべてに浸透し、すべてを育み、すべてを包んでいるものでもあります。
どこでもなく、誰でもないものだからこそ、どこにでも在ることができ(どことしても在ることができ)、誰にでもなることができます。
また、同時に現れているすべてとして、現れている世界全体として起こってくることができます。

本質的で、普遍的なものとは、そのようなものです。

また、「調べてみても」がよかったですね。
それであるとき、そこにあるときに、その視点、その理解から、あるいは、その視点自体、その理解自体を
調べてみる、認識してみることは(これはマインドを活発に働かせていくこと、重ねていくこととは違います。)、
それそのものの理解を深め、広げる等の点で、とてもよいことです。


受講者
ただ存在するだけで、癒され、至福を
感じられるって、本当にすごいです。



もっとも単純、もっともシンプルな在り方、
あるいは、単純さそのもの、シンプルさそのものの中に(癒し、至福その他)すべてが在ります。

また、ただ存在するだけとは、イコール(特定の誰かではなく)在るで在ること、
それは、真の自己であること、
ただ自分自身であること、
それがすべてを為していきます。
在ること、無為(相対的な行為、無行為を含み超えた真の無為)が、(癒しその他)すべてを為していきます。


受講者
今回のセッション時にお話をしましたが、
記録として、こちらへも再度書かせていただきます。

公園を散歩し、読書をし、空気や風を感じながら
瞑想に誘われ、目を閉じると、久しぶりにチャクラの色を
見せられました。
蛍光ペンのような、黄緑、赤、オレンジ、黄色、
どれもとても優しい色でした。

見たいと思うと見えないのですが(笑)
見せられた、この感じは、在るであり、
ハートと繋がり、とらわれていない純粋な意識
だから、見ることができた(見せられた)と感じました。



はい。
在るが自分自身に見せた、とも言えますね。


受講者
こういった時は、思考ではなく
感覚的に一瞬で理解が深まります。



直知、直覚、体験即理解、実感そのまま理解ですね。


受講者
そして過ぎ去っていきます。

最近、長く瞑想が出来たことよりも、瞬間、瞬間の今に
深く在る事の方が嬉しいです。



「長く」というのは、時間であり、その認識をしているのはマインド、
(もちろん良い悪いはなく、それがマインドの自然な働きです。)
瞬間、瞬間の今に在る(今=在るであり、今にある特定の誰か、個別の誰かではありません。)、
または、瞬間、瞬間の今であるのは、在る(愛、至福そのもの)ですね。

在るにとっては、長い時間も、一瞬もまったくまったく同じです。
(一瞬=永遠、真の永遠は時間の長さの延長上にあるものではなく、時間を超えています。)
ですから、ある素晴らしい状態に長くとどまりたい、ずっとこのままでいたい、
というのは、マインドであるということが理解できると思います。

(快適さ等相対的によい状態を好む自然なマインド━肉体的な生存本能等も含む━です。
また、本質、源、純粋な事実としての在るの中にも、それ自身と不可分な状態、在り方で、
純粋な「在りたい」、純粋そのものとしての「在りたい」が在ります。
マインドの「ずっとこのままでいたい」等は、純粋な「在りたい」のひとつの現れ、
それが時空の中に現れたときにとられる美しい無限のバリエーションのひとつ、
純粋な「在りたい」の現れと、現れの世界における様々な関係性、環境、
個々の気質、プロセス、成熟度合い等様々な要素が総合された自然としての現れと言うこともできます。)

また、本質である在るをマインド、肉体等含む現れ全体に浸透、統合させていく上で、
在るに何度も戻る、在るであることを重ねていくということは大切です。
そのような意味で、在るであることを長くキープする、長い時間瞑想するということも
ひとつありますが━極端に長い瞑想、長期間の瞑想などを指導者等なく個人で実践すると、
バランスを崩したりすることがあります。
また、「キープしよう」が、ときに、よりマインドを強くする可能性もあります━
無空庵では、長い瞑想等ではなく、日常の中で、在ると現れを何度も行き来することにより
━気づいたら在るに戻る━、
より自然な統合、自然な浸透、日常そのもの、自然そのもの、真の在るがままの実現を促していきます。
そのような意識が自然に起こった場合は別として、在るを長くキープしようというような意識はせず、
ただ気づいたら在るに戻る━一瞬でも━、それをシンプルに繰り返します。
瞑想を習慣にされている方もそれを好んで実践されているのであれば、
それも継続しながら、日常での在るの実践を繰り返して頂いております。)

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存在の自然

受講者
日常では、ストレスを感じていました。



存在の自然、
それにより、在るがより確かなものとなっていきます。

後から起こってくるマインド

受講者
この一週間も先週に引き続き、マインドを追っかけてしまう週でした。



より気づけるようになっているからとも言えますね。
マインドを追っかけてしまうマインドにもただ気づいていることにより、
徐々に追っかけなくなるようになってくるでしょう。


受講者
メールをする際に言葉を慎重に選びながらも、はっきりと自分の考えを述べました。

後からいろいろ考えが起こるのですが、お返事をする際に「はっきりと伝えよう」と感じた気持ちを思い出し。。。の繰り返しでした。



それ(はっきりと伝えよう)が必要なときには起こるでしょう。
純粋に自然に起こったことに対して、後からマインドが起こってくるということはよくあります。

一瞥体験の後に起こってくるマインドなどもそうですね。

ただ気づいて在りましょう。

共鳴伝授

受講者
セッション後、目を閉じると、私の中にいるみたいに感じました。



はい、本質的には、わたし(真の自己、純粋な主観性、自覚できるそれ)だけが在ります。


受講者
無空さんが穏やかで温かい感じなので、それが感覚として残るような感じがしました。
頭がボーっとして、目が閉じてしまう感じがありました。



共鳴伝授という表現を使えるかもしれませんね。
開かれている質や理解、在り方等が、共鳴により活性化され、感覚され、そして、浸透していきます。

(それは、現れた存在としてまったく同じようになるということではありません。
皆同じようになるということは、現れた自然な多様性にとってまったく不自然なことで、そのようにはなりません。
それは無限の可能性そのものでもある在るの後退です。
無限の更新を続ける在るにとってそのようなことは起こりません。
本質そのものはひとつであり、また、現れた存在にとって共通のものではありますが、
その現れ方はそれぞれがユニークで、それぞれ独特の素晴らしさ、それぞれ独特の美しさ等があります。)

現れ

受講者
1共鳴
目の前が少し遠くなり、目の前の現れを「在る」が
見ているような感覚でした。

2アイコンタクト
焦点が合わず、周囲が明るく見えました。
机が歪んで見えたり、
無空さんのお顔も歪んで見えたりしていました。



自分自身である在るの方により焦点が当たっている時、
そのような感じになることがあります。


受講者
3瞑想
空間が広がっていて、
その空間そのものが「在る」であり、
外から聴こえてくる音や
自分の思考の声が
「在る」の空間の外側に感じました。



源と現れ、
本質である源として在るの立ち位置にあるときには、
そこから現れる現れは、はじめの共鳴のときのように遠く感じられたり、
今回のように外側というか、けっして触れられない、けっして影響を受けない在り方
(けっして破られることのない静寂、平和、けっして侵されることのない自由等)
絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫の在り方であるというように感じられることがあります。


受講者
4ハートの共鳴
「在る」の空間を無空さんと二人で共有し、
1つの空間の「在る」にいるような感覚でした。



一であり、同時に多である。
また、3の瞑想のときとは別の在り方で、現れ、あるいは、それ自身からの起こりも
それ自身の中で起こっている、
すべてはそれであり、すべてはただそれとして起こっており、
本当は何も起こっていない、

(何も起こっていない、それだけが在る、自分自身だけがある
絶対安心、絶対安全の中で、すべては起こっていて、
そこでの体験、実感、気づき、理解の積み重ねを通し、
在るは不変不動のまま、無限に成長していきます。
そこでの理解の深まり、広がりは、そのまま存在の深まり、拡大になります。
無限そのものでもある在るは、無限のまま、無限に深まり、無限に拡大していきます。
それが無限そのものでもある在るの自然本性です。)


受講者
一人一人にそれぞれに「在る」があるわけではなくて、
「在る」しか存在していなく、
二人が個別の人として見えてるのはただの現れであるという
お話がありましたが、
それを体感したのだと思いました。



そうですね。
それは、“ただ”の現れ、在るにとって(普通そのもの、自然そのものでもある在るにとって)、
“普通”の現れ、自然の現れ、自然な現れ、
そしてまた、不思議な現れ、玄妙、霊妙、神妙な現れ、
けっして現れることのない在るにとって、奇跡の現れ、
既知である実在であり、同時に未知、無限の可能性そのものである在るにとって、
自分自身を様々に体験し、
(本質としてのそれ、現れとしてのそれ、トータルなそれなど、
それ自身を様々な角度、側面、在り方、関係性等を通し様々に体験し)
自分自身に無限に気づき、自分自身を無限に知っていくこと、
自分自身を無限に表現し、自分自身を無限に実現していくことを可能にする、
とても貴重で、ありがたい現れです。

本質であるそれにとって、まったく取るに足らない現れ、
(これも無限の在り方である在るの理解の一側面の表現でしかありませんが。)
本性(ほんせい)そのものであるそれにとって、これ以上なく貴重でありがたい現れ、

本質も愛であり、本性もまた愛である。

愛だけが在ります。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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