どのような在り方、どのような立ち位置、理解であって、何に意識を向けるか、ということが大切

受講者
感想を書こうとした今、この瞬間に共鳴が起きています。
ですので、少しこのまま、浸りたいと思います



意識を向けると自然に起こりますね。
本質がより開かれ、とても活性化していますね。
意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

(起こってきているものにより、すぐ消えていくものもあれば、起こってきているもののエネルギーがあるだけ存続し、その後消えていくもの等色々あります。
それは、立ち位置や理解等の確かさや深さによる力と起こってくるものの強さ等の関係にもよります。)

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

(在るは、今全体としてどのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に表し、実現します。
ある意味、今どのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に映し出す鏡としての役割、側面を持っているとも言えます。

ただ、ここで注意して頂きたいのは、全体と分離されている個人の純粋な状態というものはありません。
実際は、全体としてひとつであり、現れた存在のすべてのすべてが無限に関係し合い、影響し合っています。
あるいは、より本質的には、全体性、多様性、関係性そのものだけ、そのものの状態だけがあるという言い方もできます。

個人の内側が外側に反映されている、それが世界となって現れている、

━個人のフィルターを通して解釈されている、個人の立ち位置を通して認識され、感じられ、体験されている、
という言い方の方がより適切であるように思いますが。━

という考え方、視点もあり、
そのような要素もひとつあるとも言えますが、ひとつの言い方をすれば、
個人の内側で感じられるものは、個人固有のものだけではなく、
あるいは、完全に独立してある個人固有のものなど何一つなく、全体の状況も含めたもの、その一部が感じられ、認識されている、という理解もひとつ持たれておくとよろしいでしょう。

内側で起こっているものを所有する個人がいないのであれば、そこにはただ状況と、その純粋な認識、気づきの光、愛だけが在ります。
変わらない本質、すべての現れの源としての在るの視点、それ自身から起こるものを所有しない在るからすれば、

━現れの源であり本質としての在るの立ち位置と同時にある、現れも含めたすべてであるという視点からは、
すべてがそれ自身でもあるので、所有という認識自体が起こりません。━

個人で言うところの内側、内側の思考等も、ただ近くにあるもの、近くに感じられるものという認識にもなります。

加えて、理解が極端にならないように、あるいは、ある意味片側だけにならないよう補足しておきますと、
本質としての在るの視点からはそのようでありますが、
現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。

━例えば、考えではなく、誰かが間違って、あなたのものを自分のものと勘違いして
持っていこうとしていることに気づいたときなどに起こる、“私のもの”という純粋な認識等です。
このように、現れ起こっている社会生活、関係性の中では、自然で必要な個人認識、個人感覚は、状況により、その都度自然に起こってきます。
すべてのすべてである在るからは、状況に応じ、適切に自発的にそのように起こってきます。
名前を呼ばれたら応えられるそれがそれです。
でも、よく見るとそこには誰もいません(笑)
それは、在るの一時的な現れ、起こり、あるいは、ただそこにそのようにあるように感じられるものでありますが、
本質である在る、純粋な気づき、純粋な主観性そのもの、真の自己、真我自体が変わらずに在り続けて在りますので、
継続感、あるいは、継続性、または、永遠性そのものがそこに在り、
そこにマインドが、考え、観念、記憶、身体や環境等の継続とともに個人が継続しているという理解を付け加え、個人体験を実現しています。
そのようにして、在るは個人を体験し、味わい、その立ち位置、理解を学んでいます。━

注釈が長くなってしまいましたので、必要なところを再掲させて頂きますと、

現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。
それが多様な現れや関係性等をも含めた全体としての自然、
起こるものすべてを含み、そして超えた在る、
本質と現れが統合された在るの自然な在り方です。

━その中には、様々な理解、様々な立ち位置が含まれて在ります。━

そしてそれは、真にシンプルで自然、真の在るがまま、起こるがままの実現です。

ここではじめにお伝えしたかったのは、ある意味、個のレベルで完全にクリアになったとしても、全体の状況の中で、
あるいは、純粋な関係性の表現等として、様々な思い、感情、自然な反応等も起こってきて、認識されることがある、ということです。
そのような理解ももたれておくとよろしいと思います。)

補足の部分が長くなりましたので、その以前の必要な部分と補足の一部を抜粋し、再掲させて頂きます。

意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

どのような在り方、どのような立ち位置、理解であって、
何に意識を向けるか、ということが大切です。

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ゼロ意識共鳴は、そしてすべては、在るの起こり。愛の起こり。ただひとつであるもの(愛、全体)の中の起こっていない起こり

受講者
立場を変えての共鳴
ハートの温かさが存在全体に広がっていることを感じ、存在の優しさや温かさを感じました。
それはとても親しみのある感覚でした。



優しさや温かさもとても大事ですね。
存在は、けっして触れることができない、という在り方と共に、
とても落ち着き、やすらぎ、親しみ深い在り方で実在しています。

ただひとつであるもの、ただひとつであるすべてが、
自分自身を知り、自分自身に触れる方法として、
ただひとつのものであるまま、多となり(あるいは、関係性そのものとして)現れている、
という見方もできますね。

日常のすべてが、自分自身を知り、自分自身に触れる大切な機会であると言うことができます。
そしてその中で、このゼロ意識共鳴は、真を知る、本質を知る、
そして、源と現れが統合されたそれ、全体としてのそれを知る、トータルであるそれを知る、それを実現する、
さらに、秘められ、未だ実現されていないそれ、未知そのものでもあるそれ、無限の可能性そのものであるそれを無限に知っていく、
というものです。
それは、在る(ただひとつであるもの)から起こった在るの自分自身への愛でもあります。

愛は在るもの。
そして、それから起こるものもまた愛。

ゼロ意識共鳴は、そしてすべては、在るの起こり。
愛の起こり。
ただひとつであるもの(愛、全体)の中の起こっていない起こり。

ただ在るの実践を繰り返していけば、マインドも徐々に変容していく

受講者
最初の共鳴
時間の流れが異なっていて、爽やかな大きな流れを感じていました。



立ち位置が変わると、時間の流れ等も違って感じることがありますね。


受講者
アイコンタクト
軽やかに広がっていく感じ。それと身体に感じる制限とのコントラストを感じていました。



両方を感じることもありますね。
その両方で全体です。
在るの実践を継続していけば、制限を無限で包んでいくことができるようになっていきます。
制限の中に無限の質が浸透していきます。
制限と感じられている様々なものも、無限(愛)のひとつの在り方、現れ(現れ方)であり、
真の自己は様々に現れながら、同時に、決して現れない、決して現れきることのない無限そのものであるという理解も育っていくでしょう。


受講者
瞑想
上下左右、何も無い空間の中心にいるような感じ。時間の感覚もなく、長い時間漂っていた感じがしました。



時間を超えて在りましたね。


受講者
途中で全然関係ないシーンが出てきて夢を見ているようでした。

ハートの共鳴
胸の辺りの暖かいボール状のものを在るが外から見守っている感じでした。



全体的にとてもよく感じ取られていましたね。


受講者
日常生活では、特に大きな出来事はなかったのですが、先の予定を考えて不安になったり、余裕のない状態が続いていました。
電車の中など、ふと気付いた時に在るを意識することはしていましたが、その時に感じられる不動の”在る”と、現実に戻った時の身体のどよーんとした感覚が全く繋がらない感じがしていました。



不動の在ると、動の現れではまったく違った感じになるのも自然であり、
動にその本質的なところはまったく影響を受けないとも言える在ると現れとでは、
まったく繋がらない感じがするというのもとても自然なことです。

その両者を何度も行ったり来たりすることを繰り返していくことにより、
動に不動の質がより浸透していき、動、現れが変容していきます。
また、動もまた不動の現れ、さらには動不動という相対を超えた不動そのものである、
という理解も深まり、より在るがまま、起こるがままで在れるようになっていきます。


受講者
マインドとしては「このどよーんとした感覚をなんとかしてほしい」と思ってしまうようです。
効果を求めるというか、思う通りになってほしいという気持ちがどこかにあるのかなあと思います。



不快な状態に対してそのようなマインドが起こるのも自然なことです。
それもそのまままるごと肯定し、ただ在るの実践を繰り返していきましょう。
マインドも徐々に変容していきます。


受講者
でも、全体的に見ると、これからのことで少しずつ具体的になってきた部分もあり、流れとしては悪くないなあと思い直しています。



全体的に見てみることもとても大事ですね。
在るの質がより浸透していくことにより、全体的な視点もより育っていきます。


受講者
自分の飽きっぽいところが少々心配ですが、日々の地道な実践を続けていければと思っています。



はい、それが一番大切です。

まるごと肯定、受容

受講者
セッションありがとうございました

日常では、どうしたらいいのかわかりません

とお話ししました

お話ししながらも何を言いたいのか、何を聞きたいのか

言ってる事がさっぱり?でした



はい、さっぱりでしたね。


受講者
その時その時で対応は起こるのですが、いきいき感がないというのか

躍動感がないというのか(決めつけかもしれません)

全て元に戻る

マインドがわぁーっとなっても、わぁーっとなった時に決めたことでも

元に戻ってしまって、どちらでもよくなり静観したまま起こっていく

私って楽しいんでしょうか?と、誰かに聞きたくなってしまいます

無空さんがおっしゃったようにある一面のマインドが落ちてしまったのかもしれません

別のマインドがそれに慣れていないだけかもしれません

マインドが問題にしたいだけだと気づきました

無空さんがおっしゃるように「まるごと肯定、受容」

思い出しました「いまはただそうである」でした



マインド的なわぁーっが消えても(起こって短い間で消えても)、

静けさをまるごと肯定、受容し続ければ、

マインドも変容し、また、そこにいつも在る静けさの深み、本質を感じ取る力も増し、

そこには、静かに満ち足りた感じ(あるいは、満ちているそのもの)、

精妙でありながらパワフルな躍動感(あるいは、躍動性そのもの)、

いきいきとした生命感(あるいは、生命そのもの)、

セッションでもよく感じられる静かなよろこび等が

いつも在ることが分かるようになってくるでしょう。

変容の過程では、それまでのマインド主体、あるいは、マインド優勢の習慣のところへ

在るの質が浸透していき、マインドが徐々に変容していきますので、

一時的に、マインドで頑張っていた感覚から見て、

(在るから自然に起こる在るの頑張りとマインドの頑張りとでは、質、純度、トータルさや精妙さ等が違います。

━ここでは、分かりやすく在るとマインドと分けて書いていますが、

多くの場合は、両者がミックスされていると理解されるとよろしいでしょう。

白か黒か、ゼロか100か、マインドは極端になりやすいので、補足させて頂きました。━)

無気力になった感じ(これは浄化的に起こってくることもあります)やなまけものになったように

感じられる場合等があります。

それはプロセスとして一時的なもので(その期間はひとそれぞれです)、在るの実践を継続していけば、

いつもそこに在り、すでにそこに在る本質の深みを感じ取れるようになってきます。

そして、それが現れも含めた存在全体に浸透していき、

それまでのマインド主体、マインド優勢の在り方から、存在全体として本質的に満ちた在り方へと

自然にシフトしていくでしょう。

それはとても自然な在り方です。


受講者
そこのところ

すぐにパターンがでるところ

マインドの性急さ

気づけてよかったです



よかったですね。

話すことで、気づけます。

進んでいく中で、様々なプロセスを通っていきますので、

セッションで確認していくことは大事ですね。

確認により、実践の土台がしっかりし、確かな方向、確かな在り方で

実践を継続していくことが可能になります。

無空庵のゼロ意識共鳴の基本的なスタイル

受講者
セッション中について質問がありメールしています。

共鳴、アイコンタクト、ハート、瞑想と
その時、その時で、感想を答えなければという
思考が動いているのを感じてしまい、
何か、言葉を受け取り、それを表現しないと
という状態になっているのに
気づきました。



はい、それはセッションを受け始められた多くの方、
あるいは、多少なりとも全員に起こっていることとも言えます。

(「表現しないと」の度合いの違いはあります。
セッションを多く受けられている等で、
表現することが自然になっている場合は、
それが限りなくゼロに近くなっていると言えます。)

内側で起こっていることによく気づかれていますね。


受講者
お試しセッションの時に無理に
何かを言おうとしなくてもOKと無空さんに
言われたのに、自然と言葉が出てくる時と
忘れないように、忘れないように、
この在るの状態を表現しなければ、、、
という状態になってしまっています。



まだスタートしたばかりですから、
わたしの方で、特に起こらないのなら話さなくてもいい、
等お話ししていても
気を使われているところ等(それが起こっている)もあるかもしれませんね。

また、聞かれたときに、何か応えようと
感じたことを覚えていようとする必要もありません。
忘れたときは、「忘れました。^^」で、OKです。


受講者
本質に焦点を合わせる事や本質を
認識し、より理解し気づきをあたえる事が大切なのも
感じております。



はい。
そして、その確認(確認により、その理解や気づきはより確かなものとなります。)等のために
ひとつの共鳴の後に、どんな感じだったか、お聞きするというスタイルにしています。

また、どんな感じだったかを話そうとするときに、再度在るに意識がいき、
よりそれを感じようとすることが起きたりすること、
さらには、それを表現しようとすること

(たとえ、表現できなくても、これだけでも十分です。
それを思い出しながら、あるいは、それを感じながら表現しようとすることで、
より在るを強く、トータルに認識することが起こっています。)、

表現されることで、本質がより精妙な現れのレベル、そして脳を含めた物理的な体に浸透していき、
存在全体の変容を促していきます。

(在るを感じながら話すということは、在るのよりパワフルな実践ということができます。
日常では、なかなか同じように在るが分かり、それを共有しながらコミュニケーションをとる、
━沈黙のコミュニケーションも含む━という機会は少ないかもしれません。
また、たとえ在るを知っていても、個人がそれを所有しているケースもあります。
━そうでないケースの方がまれかもしれません。━
そうすると、それはまた違ったコミュニケーションになってしまいます。)

また、共鳴中に様々な思いが起こることも含め、在るがまま、起こるがままで在れる練習を
しているという側面もあります。
そして、前回の感想の返信にも書かせて頂きましたが、
本質(在る)に在り、そして、現れの方に焦点が自然に移動する、
そして、また本質の方に戻る(これはすべての人に起こっていますが、それが自覚、認識できているかどうかは別です。)、
この繰り返しが在るの自然な在り方、動きです。

(これは、一瞬一瞬というスパンから、ひとつの宇宙が生まれ、そして終わるまで等、様々なスパンで起こっています。
別の言い方をすれば、一瞬一瞬とひとつの宇宙が生まれ、終わるまでは同じであるとも言えます。
それが様々な形で幾重にも重なり、起こっているという言い方もできるかもしれません。
ただひとつであるものは、そのような在り方、現れ方をしています。)

そして、大事であり、また自然な在り方とは、焦点の維持固定ではなく、
在るに戻ることを繰り返し、理解を深めていった結果、自己理解がより確かなものとなり、
焦点がどこにあっても、その理解が常に背景にあって
その存在全体を支え、ある意味、自動的に働くようになることです。

(そのような意味でも、共鳴で本質に焦点が当たり、その後お声掛けさせて頂き、言葉が起これば話して頂く、
この繰り返しをしながら、在るの現れへの浸透、定着を促している、存在全体における在るの実現を促している、
ということができます。)

以上、補足も踏まえ、現在のセッションスタイルの基本的なところをお伝えさせて頂きましたが、
もちろんこれは一般的なことでありますので、それぞれの方の今の状態、気質等含め、
ケースバイケースで行っていきます。

あなたがおっしゃるように、本質に焦点を合わせる事や本質を認識し、より理解し気づきをあたえる事が
一番大切であり、それなくしては、その現れへの浸透もありません。

(直接感じられなかったり、自覚がなくても、共鳴による浸透や変容は起こっていきます。
また、それが後日、さらに数か月後、数年後等に感じられたり、気づきや理解が起こることもあるでしょう。)


受講者
在るを静かに感じていたいという思いが出てきています。



はい、今起こっていることを優先させましょう。
そして、それを実感し、体験してみることが大切です。
それがあなたには一番合っていて、ずっとそのスタイルが一番いいかもしれませんし、
それは必要なだけ続いて、また今のスタイル、あるいは、また別のスタイルになるかもしれません。

いずれにせよ、今(一瞬一瞬)在るで在って、在るがまま、起こるがままに。


受講者
セッションの共鳴、アイコンタクト、
ハート、瞑想と全てが終わるまで、
感想をお伝えせずに
進めることは可能でしょうか?



はい、可能です。
在るそのものがそうであるよう、本質と現れの行き来のスパンは、様々であってもOKです。

(セッションは30分ですし、またわたしも共に在りますので安全ではありますが、
没入しすぎるタイプの方等様々なタイプの方がいらっしゃることや
浄化の起こり方等様々な面を考慮し、現在の基本的なスタイルにしております。
週に1回ということも含め、もっとも無理なく、もっとも効果的に存在全体の変容、自己理解等を進めていける
基本的なスタイルとして現在の形にしております。)


受講者
今までも意識共鳴や瞑想中も思考が動き
在るをうまく感じられない時もありましたので
それだけの問題でない事も感じてはいます。



共鳴中は、在るに焦点を当てること、在るであることで浄化が起こり、
その現れとして、思考、雑念、感情、体のどこかに何かしらの感覚等が
起こってくること等あります。
起こってきているものが強めのときは、在るに注意を向けようとしても難しい場合があります。

それはとても自然なことです。

そして、思考等が過ぎ去り、無理なく在るに意識を向けられるようになったら、
ただ在るに戻ってください。


受講者
今、こう感じている事が一時的なものなのか
私の気質的なものなのか、
よくわからないのですが、こういう事も
よくあるのでしょうか?



はい、あります。
やはりより感じたい、よりしっかり感じたい等の思いは自然に起こってくることがあります。
あなたの場合は、より本質的なところからの感じがしますが、
中にはそれが強すぎて力みになっていて、それを実践を繰り返す中で、ご自身で気づかれたり、
セッションでの確認で気づかれたりしながら、さらに自然な実践、自然な在り方となっていきます。

確認は必要ではありますが、在るに戻ることを繰り返せば繰り返すほど、
その実践、在り方は、より洗練され、より的確なものとなっていきます。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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