腑に落ちるまでにかかった時間、その間に起こった出来事、為された行為等、無駄なものは何もない

受講者
今、気づいたのですが、「在る」が軸なんですね。



はい^^


受講者
「在る」が、「自分」の軸である、と。



真の自己理解により、自分=自己=在るとなってくると、

あるいは、立ち位置のシフト、主体のシフト、逆転、

変わらない源(軸)が主、現れ(現れている自分、個人)が従となってくると、

上記表現から、「自分」の  の部分がとれ、

「在る」が、軸である、と。

あるいは、「在る」が、軸であり、それがすべてである、と。

等の表現になってきます。


受講者
だから「あるがままに」感じたりする事が大事である、と…



本質である在るを軸として見た現れた自分側の理解として、とてもよい理解ですね。

(在る自身の直知、直覚が起こり━今回の理解にもこれが含まれているとも言えますが━

、その直接的な理解の反映として同じような表現が現れてくることもあります。)

今の立ち位置にあるときに、その理解は大切です。

それがマインドの成熟、ひいては存在全体の成熟を促していきます。

在るは、源として在り、また、現れとして現れ、

自らをより深く知っていきます。


受講者
多分、それは今までのセッションで何回も言われた事だと思うのですが(汗)
それが腑に落ちるまでは、色々、グルグルしますね…。



それぞれに必要で自然なプロセスがあります。

グルグルが、存在全体の厚み、深み、奥行きを増していくのに役立っています。

すべては、在るであり、すべては愛です。

そして、すべてはひとつです。

(すべては、分離していないひとつの在るであり、

すべては、分かたれていないひとつの愛です。)

腑に落ちるまでにかかった時間、その間に起こった出来事、為された行為等、無駄なものは何もありません。

それらは、立ち位置、理解により、統合されていきます。

真の立ち位置、真の自己理解により、真に統合されていきます。

そして、統合されたものが、さらなる理解の深まりにより、更新されていきます。

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それそのものは、すべての存在に開かれて在るが、その秘められた真のところは、準備ができた存在にその準備ができた分だけ開かれる

受講者
ハートの共鳴


秘める 秘めている

それはいつも秘めていることに
初めて気が付きました。

まさに神秘なのだと思いました。


そして、今までの自分の在り方に
違和感を覚えました。


秘める ことの大切さを知った気がしました。



はい、それは開かれそのものでもありながら、

未知そのもの、無限の可能性そのもの、

また、とても大切なもの、

普通、自然、当たり前そのものでもありながら、

それ自体が尊厳そのものでもあり、とても崇高で、

(ある意味、けっして触れることのできない)神聖なものでもあります。

それそのものは、すべての存在に開かれて在りますが、

その秘められた真のところは、準備ができた存在に

その準備ができた分だけ開かれます。

その秘められた大切さを真に知るものは、

誰彼かまわずむやみやたらにそれを伝えようとはしません。

そして、その真のところは伝えようとして伝わるようなものではありません。

ただ準備ができた存在に、その準備ができたタイミングで自然に開かれるものです。

無空庵でできるのは、(ただ共に在ることで)その準備のお手伝い、とも言えるかもしれませんね。

(自然に開かれるとも言えますし、準備ができれば、それが自然に伝わっていく、伝授されるとも言えます。

ただひとつであるものである在るにおいては、それは同じことです。

そこには、誰もいません。

ただ開かれが起こる、

ただ伝授が起こる、

それがそれ自身に開かれる。

それがそれ自身に伝授される。)

何に自然に焦点が当たるか、何が自然に見え、何が自然に感じられるかは、 立ち位置、真の意味での自己理解、そして、その深さ等による

受講者
日常では、
自分自身が主体、唯一の主体です。



とても力強いですね。
純粋な主観性そのものである在るとして在りますね。


受講者
理解がとらわれを正していきます。
即座に、体験を平らにしていきます。
気づいていないときは、(他の存在を通して、)即座に、正されが起こったりします。



ただひとつであるもの、唯一の主体にはそのように起こります。


受講者
何ものにも影響を受けずに、自分自身がそのまま表現されるということは、何と素晴らしいことでしょうか。
それが、真の幸せ。
自分自身であることの幸せ。
静かに在れば、自然に表現されていく。
丁寧に、表現されていく。



とても静かに、とてもきめ細やかに、とても美しく伝わってきます。


受講者
純粋な表現に触れるとき、あまりにも美しく、ただ感謝が溢れることがあります。
それは、マインドの世界では、決して美しいとは言えない姿形だったりします。
そこに、愛が見え、幸せが見えます。



真の目が開いていますね。


受講者
世界は存在の素晴らしさで溢れていることに気づきます。
感動で溢れていることに気づきます。



本当にそうですね。
真に開かれた在り方、真の自分自身に開かれた在り方が、それを見、それに気づくことを可能にします。
何に自然に焦点が当たるか、何が自然に見え、何が自然に感じられるかは、
立ち位置、真の意味での自己理解、そして、その深さ等によります。

在るはあまりに透明で、あまりに自然で、あまりに普通なため、記憶として残るものではないとも言える

受講者
最初の共鳴で
堂々巡りである ということに気づいていました。


何をどうするか 等のマインドの無意識の選択の前に
どう在るか ということ。


この回のセッションは、この 堂々巡り 以外の記憶が
あまりありません。



それだけが、(在り方に気づくため等の)必要により、
また、その性質ゆえに、そのエネルギーがある間だけ残っているのかもしれませんね。

在るはあまりに透明で、あまりに自然で、あまりに普通なため、

記憶として残るものではないとも言えますね。

(記憶として残るような在り方をしていないとも言えます。

記憶として感じているようでも、その記憶にリアリティを与えているのが、

今そのものでもある在るであり、それは今の在るです。)

それはいつも在るものです。

それは、未知そのもの、また、ニュートラル、まだ何も限定、特定、方向づけされていない、何も具体的になっていない創造の源、原初そのものとも言える

受講者
とても 抽象的で 分かりにくい
感想文になってしまいましたが

私自身が 今、とても 抽象的であいまいな
感覚です



今(在る、愛、全体)は、未知そのもの、また、ニュートラル、
まだ何も限定、特定、方向づけされていない、
何も具体的になっていない創造の源、原初そのものとも言えます。

それは最も古く、同時に常に新しいもの。
何ものにもとらわれず、絶対的に自由であるもの。
自ら然り、何ものにも依らず、それ自身で自ら在れるもの。

それは、何ものでもなく、また、すべてになること、すべてで在ることができます。
そして、さらにそれ自身であるすべてに浸透していくことができます(更新、変容、成熟、深まり、拡大等)。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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