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あるがままを認識(肯定)し、表現することで抜けていく、超えていく

受講者
先週と先々週のセッションですが、最近は何かいまいち集中できない状態にあります。

なにか、これをやったらうまくいくというような、他のまっとうな手段で努力するべきところをショートカットして解決しようとしていないか?
そもそも無空さんとのセッションや、悟りを求めることで何を得ようとしているのか?
それも結局エゴが欲しがっているだけなのでは?
という考えがしばしば起こるようになっていて、もやっとしてしまいます。



昨日のセッションでお話ししたように、少し前に頂いた感想からも分かるように、よりクリアになってきて、より深い浄化、そして、より強いマインドの抵抗が起こっている感じですね。

プロセスとして、本当にトータルにクリアになり、理解も深く成熟してくるまでは、可能性としては、今回のような浄化や抵抗、あるいは、また別の形での浄化や抵抗は、何度も起こってくる、相当進んでも、最後の最後まで起こってくるというように理解されておくとよろしいですね。


受講者
セッションの最中は清らかな気持ちよさがあり、"在る"に近しいと感じられるのですが、日常に戻ると自分が汚れているという感覚があり、それに立ち向かうのに"どうせ無理だ"という無力感があります。

これは、毎回、辛かったり難しい状況になると"在る"を求めだすのですが、急にだとうまくいかなかったり、ある程度そのような状態になれたとしても、結局辛さが残ったりすると"やはり駄目だった"と判断してしまったりするのが、無力感や"結局エゴが自分を良くしようとして求めているだけ”という思いに繋がっているのかな、と思います。

セッションは続けていきたい意思はあるのですが、現状上記のようなちょっと停滞感があります。



これを書かれて送信後、すっきりされたとのことで、これも、前回か、前々回、似たようなこともお話しさせて頂きましたが、今回のように、今の状況、内側で起こっていることを認識し、表現することで、浄化的なものやマインドの抵抗などから抜けていくことができます。

これも、在り、そして、気づく力によるものとも言えますね。

明かに、在る力、気づく力は、より増しているのは、ご自身でも自覚されていると思います。

プロセスの理解、マインドの性質等の理解ももって、進んで行きましょう。

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相対を超えた純粋そのものには、「すでにそうである」から、「純粋でありたい」までのすべてが含まれて在る

受講者
はじめの共鳴では、「純粋でありたい」を感じました。



相対を超えた純粋そのものには、「すでにそうである」から、
「純粋でありたい」までのすべてが含まれて在ります。

すでにそうでありながら、純粋でありたいが立ち現れ、発動することにより、
無限なる純度がさらに更新されていきます。

絶対を土台に、絶対以上が実現されていきます。

それは、絶対(真なるもの)の具現化、絶対の栄光化とも言えます。

浄化のプロセスの理解

受講者
相変わらず、日常生活では様々に胸の痛い事が起こっていますが、あまりとらわれず静謐に意識を向けて行きたいと思っております。



はい、浄化自体は、生命の本能から自然に起こっていきますが、それに無意識でいると、かなりためこんでしまってから大きく起こってしまうこともあります。

日々の実践で日常的なものをクリアし、また、さらに、共鳴と合わせ、これまでたまっていた深いところにあるものもクリアしていきましょう。

それと同時に、書かれているように、様々に起こってくる浄化的なもののひとつひとつにはとらわれず、クリアが起こっているという理解で、意識は、
静謐、在る、真我、平安、愛などの方に向けましょう。

意識を向けたものが活性化し、この現れの世界を通し育ち、より確かなものになっていきます。

ダイレクト

受講者
アイコンタクト
頭の奥の方に視点が移動していくような感じがありました。
"在る"の感覚がどんどんリアルになっていき、見ていること、聞こえてくることがダイレクトに感じられました。



はい、在れば在るほど、ダイレクトになってきますね。
それはリアリティそのものであり、すべての体験がより生き生きとしてきます。

体験の主体としての在ると、体験の対象、客体として現れた在るの間に何も挟まないことが、とても大切です。

そのとき、真のダイレクト、ひとつであるものの響き、思考では届かないものが体験できます。

日常の感覚

受講者
共鳴

意識、その次のアイコンタクトでは、圧倒的に濃い密度のクリアな感覚でした。
無空さんはいつもこんな感度の中にいらっしゃるのでしょうか?



意識は、自然に本質そのものの方の自覚になったり、現れの方に向いたりします。
そのときどきで、焦点が当たっているところが違い、本質の自覚状態のときは、
濃い密度、現れの方に焦点が当たっているときは(それもそのときどきで、どのくらい焦点が当たっているか、絞られているか、あるいは、特に焦点がなく、現れも含めた形で、全体に広がっている、全体として在るか等により、違いますが)、密度は薄目です(全体そのものとしての自覚状態が強いときは、濃い目です。)。

また、それぞれが一人で、在るを自覚するより、より濃い密度のクリアな感覚、感度を実現できるのが、在るの共鳴、ゼロ意識共鳴です。

(そこから、認識、実感、理解の深まり、広がり等が可能になります。)

そして、一度、その感覚、感度が開かれることにより、一人での自覚の際にも、より感度の高まった認識が可能になっていきます。

また、在るの場からの共鳴は、全体の感度、集合的な感覚、感度を上げていく、開いていくことにも貢献しています。


受講者
瞑想、そしてハートの共鳴では、振動の心地よさ、喜びでした。

立場をかえて、ニュートラルの共鳴では、とにかく心地良さに、身を委ねている状態でした。



今回も、自然体で、本質のところをとてもよく感じ取られ、また、存在全体としても、素晴らしい在り方でしたね。


受講者
仕事中でも、ようやくこの感覚でできるようになりました。



それは、本当に素晴らしいことですね。

今そうであるように、共鳴セッションの継続、日々の実践の継続により、日常、そして、お仕事の中でも、それが実現されるようになっていきます。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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