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理解の深まりに伴い、しんどさは軽くなっていき、現れからより自由になっていくことができる

受講者
またまた陰極まるといった状況になってしまい、なかなかそういう繰り返しから 抜けられないなあという気持ちです。
影響を受けやすい種類の現れがあると感じています。



はい、人それぞれ、影響を受けやすいというものはあります。
それでも、継続的実践により、超えていくことが可能です。


受講者
現れに惑わされないようになっていけるのか、この繰り返しはしんどいなと思っています。



実践を繰り返し、理解(真の自己理解、源と現れについての理解等)を深めていきましょう。
理解の深まりに伴い、しんどさは軽くなっていき、現れからより自由になっていくことができます。

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すべてはただ在るがままにあり、起こるがままに起こり続けているだけで、とてもシンプル

受講者
昨日はありがとうございました。

ここのところ、重い悩み、絶望感を
感じるような出会いや事柄が身近にあり

深い闇、八方ふさがり。。こんな事が
世の中にはあるのだ、その物凄いエネルギーの感じ
どうしようもない言葉では表せない感じを感じていました



現れの世界には、様々な感じ、エネルギーがありますね。


受講者
それが、私の奥に潜んでいたのかもしれないとも。。



そのような視点からは、今それがクリアされるタイミングが来て、
浮上してきていると見ることもできますね。

また、基本的には、すべては、在る(真我、真の自己、愛、全体)の中にあり、
自己には、すべての可能性(すべての体験の可能性)が潜んでいます。

(プロセスの中でのそのときどきの)立ち位置、視点、在り方、自己理解等により、それがどのように現れるか、見られるか、体験されるか等が変わってきます。


受講者
何もしない、取り組まない
ただただ、在る。。



はい。


受講者
複雑で、こんがらがったものが
1つになっていく感じも感じました



シンプルで、そして、最もパワフルなその在り方、立ち位置が、
すべてをひとつにしていきます。
あるいは、もともとすべてはひとつである、という理解、真実を
現れ全体に浸透させていきます。

(相対的、現れ的には、全体の中で自然発生的に起こる、“何かをする”、“何かに取り組む”等の現象が起こっても、本質的には、何もしていない、何にも取り組んでいない、ただ在る。という在り方、視点、理解です。
“何かをしている”が起こっていても、それをしている自我、個人がいないとき、あるいは、それを所有する自我がいないとき、そこに問題は起こらず、
複雑さ、こんがらがりは、発生しません。
すべてはただ在るがままにあり、起こるがままに起こり続けているだけで、
とてもシンプルです。)

体験、実感を重ね、自己理解、変容、統合等が進んでいくと、自己の深まりへの恐れもなくなっていく

受講者
共鳴
空っぽさ

アイコンタクト
何でもなさ



これも、在るの自然で、また、本当に素晴らしい在り方ですが、
それを認識できるところが素晴らしいですね。
普通、当たり前、何でもなさ、自然さ等は、
なかなか注意が向きにくく、気づかれにくく、
そして、気づかれても、マインドには喜ばれにくく、
大事にされにくいです。
でも、それが最も大事なもの(普遍的本質)です。
それは、すべてのベース、背景、そして、核としてあり、
すべてを貫き、すべてに浸透し、
また、すべてとして現れ、すべてとして在り続けているものです。


受講者
瞑想
眠りの世界に入りそうになる



個人が退いていくと、そのような感じになることがありますね。


受講者
ハートの共鳴
何でもなさ

立場を変えての共鳴
ひとつに統一される



この感じ、認識、在り方もとても大事ですね。


受講者
立場なしの共鳴
深まっていく感じと、深まりを恐れる感じ



深まりが素晴らしいからこそ、起こってくる自然な感じでもあります。
体験、実感をさらに重ね、自己理解、変容、統合等がより進んでいくと、
自己の深まりへの恐れもなくなっていきます。

ひとつであるものは、何ものも恐れません。
(現れにおいて自然に起こる関係性の中での、自然発生的な一時的恐れ感の
ようなものは起こり得ます。
また、自己認識のひとつの側面、角度として、ひとつであるものの中で、自分自身が何ものでもないという認識から起こる様々な感じ、感覚のひとつとして、恐れもあり、そこから世界が展開していく━何者かになろうとする動き、何かで自分自身を埋めようとする動き、満たそうとする動き等━という側面がありますが、自己(この場合は、現れを含む存在全体)をトータルに知り、自己受容、自己統合、自己理解が進むことで、何ものでもない自己として安らいで在ることができるようになります。)
そこに在るのは、(トータルな、あるいは、ただ━無条件の━)安心、平和、自由、安らぎ、リラックス等であり、
また、無限であり、既知でありながらも同時に未知でもある自己(真実、真理)への開かれです。

(この真実、真理への「開かれ」に関しては、自己理解の深まり、存在全体の成長、成熟等があるところまでいくと、必ずしもすべての存在にあるわけではないようです。参考として、「パワーかフォースか」の著者デヴィット・R・ホーキンスの「I<わたし>」から抜粋させて頂き、ご紹介させて頂きます。

「けれども、このレベルの進化は通常あまり起こりません。意識レベルが600に達した時点でそこで止まり、
残りの生涯をそのまま過ごす場合がほとんどです。
各レベルの啓示はそれだけで完結していて深い満足を与えるので、その達成感がさらなる意識の進化を停止させてしまうのです。
ほとんどの覚者が600を超えたところで完結するのはそれが理由です。
その状態の至福があまりにも完全なので、さらにその先があるようには見えないのです。
しかしある意味では、その結論は正解です。
というのも、各レベルはそのレベルにおいて完全かつ完璧だからです。
そのような達成感や完了感は、500台の上位以上から現れます。
そこには好奇心も未完了感も残っていないので、先に進もうという探求心が起こりません。
わたしの場合、そこから先の各レベルにおいても、真理に対する開放性は持続していました。
ですからどこかで、完璧に完結しているのではなく、進行中の過程であるということを認識していたのです。
おそらく「自己」がさらなる進化の中で自らの本質と潜在的可能性を表現するために、前進しようとする意志を働かせたのでしょう。
そして、何よりも、おのずと起こる進化の過程に身を明け渡したいという意志が決定的な要素でした。
創造は条件が整ったとき、その潜在的可能性を表現するのです。」)

本質、在る、真我、愛の影響は、全体に対し、深く、精妙なところから、広範囲にわたり、影響を与えていく。そして、その現れ方は、多様

受講者
先ほどは
セッションをありがとうございました



現れの世界

日常のこと。。次男の受験のことや

実家のことなど。。いろいろと聞いていただきました


非顕現の世界(いのちの根源)を味わい体験することが

この現れの世界にどのように影響を与えるのか


それが知りたかったようです



それは、顕在意識で推し量れるものではありませんし、

個人の都合の良し悪しを基準にできるものでもありませんが、

本質、在る、真我、愛の影響は、全体に対し、深く、精妙なところから、

広範囲にわたり、影響を与えていきます。

そして、その現れ方は、多様です。

ハートの共鳴時に、体を基準としたハート、胸の辺りを決まって意識する必要は全くない

受講者
# 最初の共鳴
思考がもやもやしている状態から、次第に広がりと静けさの方にシフトする感じがありました。
意識がシフトしていくとともに、起こっていることがより見えてくるようになり、注目したり離れたりがありました。

# アイコンタクト
目から頭の後ろの方がすーっとする感じがあり、数秒ほど思考のない状態になることがしばしば起こりました。
頭のほうが静かになってくると、体の方に意識が移っていき、ハートのあたりがしくしくする感じがありました。

# 瞑想
目をつむっていると次第に想念が起こってくるのですが、それがもやもやと一杯になったあたりで、
想念がある全体、を認識している自分のほうに意識が移り、頭全体が気持ちよくなる感じがありました。



全体が認識されているとき、また、全体を認識している自分自身が認識、自覚されているとき、
あるいは、全体そのものである自分自身が認識されているときには、
そのような感じ(気持ちよさ、心地よさを感じる)になることがありますね。


受講者
# ハートの共鳴
ハートのあたりが苦手、という思いがあり、何か毎回やりにくさがあるのですが、
起こることを放って置いてみるとハートのあたりがじんわりと暖かくなる感じがありました。
同時に、そのまわりのじくじく痛む黒い感じもありました。



トータルでニュートラルな意識がハートに自然に向くことにより、必要な浄化が起こってきたかもしれませんね。


受講者
# 立場を変えての共鳴
始めたときからぶわっと広がる感じがあり、広がっていく中で体の様々な重さ、フィーリング、もやもや起こる想念などの"自分"以外の
空間に意識が合い、そのスペースの広さに感動と解放感、自由な楽しさを感じました。



立場、立ち位置、視点、理解等が変わることにより、見え方、感じられ方、感じられるものが変わってくることがあります。
あなたは、大きさや広がり等が感じられることが多いですね。
そして、その感覚、認識力等もより増していますね。


受講者
# 立場なしの共鳴
頭の奥の方にフォーカスが行ったり、ハートのあたりがじんわり温かくなったりと、様々な気持ちよさがありました。



焦点の移動も自然なものです。
様々な体験、味わいを重ね、存在をよりトータルに知っていきましょう。


受講者
頭が静かになってきたあたりで、ハートの周辺でじくじくする感じがよく起こり、存在感が強くそこから離れることがなかなかできませんでした。
もともとハートを感じる、開くと行ったことがピンと来ず苦手なのもあるのですが、
家にいるようになってタバコの本数が増えてしまい、それも原因かも、と思いました。



在るであるところから意識がそれの現れである何か、どこかに注意が行って、なかなか離れない場合は、
そこにそれだけ注意が向けられていることが必要ため、そのようになっていることがあります。
そのことにより、癒しが起こったり、活性化が起こったり、気づきが起こったり、バランスがとられる、等のことがあります。

ここで再確認ですが、ハートの共鳴時に、体を基準としたハート、胸の辺りを決まって意識する必要は全くありません。

(在るは体を含み超えた存在であり、それを真に知り、実現するためには、体を唯一の基準、絶対の基準にしていては、
個人から真我、在るへの主体のシフトがなかなか起こりません。体というのもひとつの基準、視点、現れ、理解、体験という認識を
持たれているとよろしいと思います。)

自然にそこに意識がいくのであれば、そのままそこで在る(ハート)を感じる、在るで在りましょう。

ハートの共鳴の際のハートとは、在る、真我そのものであり、無限の在り方である在るのハートとしての在り方、側面(無限の在り方があるという視点から、
側面という表現になりますが、それぞれの側面は、それ自体がすべてであり、中心でもあり、すべてを含んでいます。)

頭、思考、知識を働かせず、ただ「ハートの共鳴」という認識を一度持ち、あとは、在る(真我、愛、全体、ハート、平和、静けさ、広大さ、自由、真善美等)でありましょう。

瞑想時に体験された全体を認識している自分、自己という在り方は、ハート的な在り方にもつながります。
ハートは、全体を全体としてまるごと認識、受容、肯定して在ります。
それは、全体を支え、全体を育み、全体を包んで在ります。
ハート(在る、真我、愛、気づいている意識)は、大きく、強く、柔らかく、そして、やさしく、温かく在ります。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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